文化的な日々

映画、音楽、美術、文学などについて、その日に鑑賞した感想等を中心に書いていましたが、現在は趣味が高じて、クラシック情報、しかもコンクール情報に特化した情報ブログにと変貌を遂げております。どうせ、この道に入ったのならと、日本一、最強コンクール情報ブログを目指す覚悟です。

カテゴリ: 文学

[2013/12/20]◎NEWS◎[各紙記事を参考]大阪市は12月19日、第31回咲くやこの花賞の受賞者を発表、このうち音楽部門では、木川が選ばれた。同賞は、大阪市がその年度の創造的な芸術活動を通じて、大阪文化の振興に貢献した人を対象に1983年に始めた賞で、すでに全部門での受賞者は150組を超えている。

木川は東京音大卒。現在は日本センチュリー交響楽団の首席ホルン奏者。コンクール歴は、日本管打楽器コンクールホルン部門優勝、マルクノイキルヒェン国際コンクールディプロマ受賞など。

[2011/12/11]村上春樹が小澤征爾にインタビューし、その内容をまとめた、「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(小澤征爾・村上春樹著、新潮社、1,680円)が村上人気もあって、売れに売れまくっている。全国各地の書店でもベストセラーランキング第1位が続出、クラシック関係の書籍としては異例の好調な売れ行きだ。

もともと音楽にも造詣の深い村上ならではのクラシックに対する理解、それに小澤の実経験に基づく音楽理論の展開が人気の理由だが、あえて共著としているのは村上の小澤への敬意からで、もちろん全文、村上の筆によるものであるのはいうまでもない。

各章の構成は、

第1回 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番をめぐって
第2回 カーネギーホールのブラームス
第3回 一九六〇年代に起こったこと
第4回 グスタフ・マーラーの音楽をめぐって
第5回 オペラは楽しい
第6回  「決まった教え方があるわけじゃありません。その場その場で考えながらやっているんです」

となっている。私的には、第1回が一番面白かった。
クラシック関係者必読の著である。

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bac82853.jpg[2011/2/8 読了]2010年4月初版、中央公論新社刊行。著者は1975年から2007年まで、N響で第1ヴァイオリンを担当。同僚だった磯部周平(元N響首席クラリネット奏者)は女史に「N響の向田邦子」と名づけた。著書も多く、引退後は執筆のペースが急上昇。本書はそんな女史の最新作である。書き下ろしではなく、2003年から2007年までの間にいくつかの雑誌に掲載されたエッセイに加筆して修正を加えたものだ。装画を武藤良子、装幀を丸尾靖子、本文イラストを藤井晃がそれぞれ担当している。

磯部が敬意を込めてネーミングした通り、抜群の文章センスの持ち主。向田というよりは、椎名の一番弟子である群ようこにスタイルが似ている。ユーモアとウィットに富んだ文章は、おそらくN響だけでなく、クラシック音楽界全体を見回しても、肩を並べるものはいないだろう(ちょっと褒めすぎか)。

山形で“天才少女”といわれた鶴我は(自分でそういうのだから笑ってしまう)、大都市・東京で自分の思い上がりを知り、艱難辛苦を経て、哀れN響の奴隷となって暗〜く人生を送る…という話では全くない。むしろ、巨大都市で優雅に暮らし、音楽家としては実に幸せな日々を謳歌しつつ、逞しく生きて行く。う〜む、「給料が高い指揮者を恨んだ労働者バイオリニスト」という書評は何だったのかな。

ともあれ、読んでいて飽きない。中には明らかに書き飛ばしたような酷い文面もあるが、概ねすこぶる自由奔放に書いている。その一部を紹介しておこう。

(引用はじめ)
では、花粉症プラスの音楽仲間は、どうやって本番をしのいでいるのか、リポートしてみましょう。
[指揮者]彼らは普段から分泌物が多い。汗はもとより、ツバ、自分の偉大さに感極まって流す涙など。ハナぐらいで驚くタマじゃござんせん。むかしの、ライトナーやヴァントは、よくハナをかんだっけ。急に練習を止めて棒を置くと、ゆっくりとポケットからハンカチを出す。くしゃくしゃの大判だ。それをつまんで、おもむろに「空いた場所」をさがし、鼻にあてると「ブン!」と、鳥も飛び立つようなすごい音一発で、かんでしまう。あとはまた、それをポケットに押し込んで練習再開なのだが、百人がシーンとして見ている中で、ヘーキなのだ。その心臓、私のチキン・ハートと取り替えて!
白人界では、たとえライブ・レコーディング中でも、ハナをかむ音はOKということになっているそうだ。逆に、タブー中のタブーがハナをすする音で、私たちが何気なくたてる「シュン」という音に、凍りついたような顔をする。たぶん、「おお神よ、何たることだ。ここはかくも未開地です。どうか、私の仕事が彼らの無知にもかかわらず、遂行されますように、アーメン」ぐらいは思っているのだろう。どうでもいいけど、両鼻いっぺんにffでかむのは、すごく耳に悪いと思いますよ。
(引用終わり)

と、まぁこんな感じの軽妙なタッチで、自らが見聞きして感じたこと描いているわけだ。

全体を通して伝わってくるのは、鶴我がいかにクラシックを愛し、N響を愛しているかという、ただそれだけの熱い思いだ。エッセイ集としては抜群の出来。近来にない収穫であろう。

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